5月8日(日)トークイベントレポート【ゲスト:篠原勝之さん】

5月8日(日) ポレポレ東中野 19:00の回終了後に
鉄のゲージツ家・クマさんこと篠原勝之さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
その内容を対談形式でお届けします。


<登壇者:左:篠原勝之さん(鉄のゲージツ家)、右:坂本雅司さん(本作プロデューサー)>

 
坂本:篠原さんは赤塚さんと非常に親しかったと聞きましたが、どのような関係だったのでしょうか
 
篠原:あの頃、「笑っていいとも!」に出る前で、フジオ・プロに遊びに行って、お米盗んだりして 笑
赤塚さんは新潟の人で米送ってくるの知ってたから、赤塚さんがマンガ描いている隙に袂とか帯に入れてね
お互いそのことは知っていたけれど「米ちょうだい」っていうのも「米持っていけ」っていうのもおかしかったし、暗黙の了解だったんだよ。
貧乏と貧乏だったから。当時、あの人もお金なかったから。
 
坂本:ちょうど79年とか80年くらいに、マンガは描かれていましたけど全盛というほどではなかったですもんね。
 
篠原:だから”とうとうアンタも貧乏になったな”って言ったら、自分は違う!と。
“おれはね、頂点を見てから落ちてきたけど、おまえはずっと低迷した貧乏だから一緒じゃない”っていうから 笑
でも貧乏だったね
 
坂本:篠原さんが昨年出版されて第43回泉鏡花文学賞も受賞された「骨風」を読んだのが、お話を伺いたいなって思ったキッカケだったんですけれど、
若松孝二監督のエピソードがあったり、若松監督の「キャタピラー」にも出演されていたり、
あとは本作で取材したくてもできなかった唐十郎さんとも親交があるということで、
そのお二人の共通の知り合いということで篠原さんにお話を伺いたいのですが、まず若松監督と赤塚さんと篠原さんはどのような関係だったんでしょうか。
 
篠原:俺は唐さんのところでポスターとか舞台装置とか喧嘩とかそういう係をやっていたから 笑
 
坂本:喧嘩担当というね 笑
 
篠原:だから3人でっていうよりかは、それぞれとはお酒を飲んでいたって感じだったかな
で、唐さんと赤塚さんが飲んでいる席で”テント買ってくれ”とか”買ってやる”ってやり取りがあったら、翌日には請求にいったりね
 
坂本:今ではもう神話化された話で有名ですけれど、ゴールデン街で唐さんと赤塚さんが飲んで酔っていたときに、唐さんが
「テントが古くなっているから困っている」って言ったら赤塚さんが「じゃあ買ってやる」って最終的に600万近くのテントを買ったという。
お酒の席で勢いで言ったことにも関わらず、赤塚さんは一回約束したことは守るって真面目な人ですからね。
 
篠原:だからお酒の席の戯言じゃなかったんだよな。お互いに。一生懸命やっていたんだから。
 
坂本:赤塚さんと篠原さんがお二人でお酒を飲むことはあったんですか?
 
篠原:うん、彼の家でね。二人で飲みながらウダウダやっているときに、自分たちで梅酒漬けて樽に入れて、
ゴールデン街のタクシー乗り場で「移動BAR」をやろうかって話になって。
で、赤塚さんに「梅酒漬けたから味見しに来い」って言われてみんなで行ったら、味見しているうちになくなっちゃって 笑
未遂に終わっちゃったんだよね。そういう真剣ににバカなことやるんだよね、面白かったな。
 
坂本:その他にも凄まじいというか、ホントにバカな飲み方をされていたと聞きましたが、その話もお伺いしてもいいですか。
 
篠原:アイララってお店で飲んでいたら、赤塚さんに「クマ、おまえは今日便所にいくな」って言われて。
したくなったらコップに入れて、それを飲んでれば金かかんないだろうって 笑
 
会場:爆笑
 
篠原:おれも最初は抵抗あったんだけれど、そのうち段々自分の小便でハイになってね 笑
飲む時もちゃんとビールを飲んでいるような顔でこうクッと飲むんだよ。そうしているうちに暗示にかかってちゃんと酔うんだよ
で、新宿でストリーキングやったりバカをやったりしてね。その時から水でも自己暗示で酔えるようになったんだよ。
 
坂本:笑 喧嘩担当ということでしたけど、その時で何かエピソードとかありますか。
 
篠原:俺も喧嘩は嫌いだったんだけれどね。赤塚さんも争いごととか嫌いでね。
酒場で争いごとになったときとか、赤塚さんはスッと存在を消す達人でね。争いが収まってからまたスッて出てくるんだけれど、
自分のちんちんにバカボンの顔描いてそのまま出てきたりして、ささくれ立った空気を和ませたりしてね 笑
 
坂本:笑
 
篠原:だから小便飲んだりとかもそうなんだけれど、バカなことをやって楽しませるのが好きでね。
アイララでタモリが面白い芸をしたりすると赤塚さん泣きながら悔しがるんだよ。対抗して血が出るようなバカなことしたりね。
俺は赤塚さんのマンガで夢中になったことは無いんだけれど「ウナギイヌ」が大好きでね。ああいうハイブリッドなものを考えるのはすごいなって思ってね。
ウナギイヌをデザインして家紋にした着流しを作ってね。冠婚葬祭にはそれで参加しているんだよ
 
坂本:いまでもあるんですか?
 
篠原:あるよ。他にもコムデギャルソンとかとコラボした服が出ているから結構持っているんだよ。
まあ、ああいう自由人っていうのかな、あんな無茶苦茶な人は今はいないんだよな。
 
坂本:さすがに今だと捕まるかもしれないですからね 笑
 
篠原:若松さんとか唐さんとかもそうだけれど、ああいう伝説的な人がいないとね、この国はつまらなくなるねえ。
あと毛じらみ事件ってのもあってね。飲んでいた時に毛じらみの話になってね、毛じらみは左手で次の毛を探しているから
左利きだって赤塚さんに言ったら、悔しがってね。「おれ毛じらみになりたい!」って。で、翌日かな、バーに行って毛じらみがいそうな女をね…
 
会場:爆笑
 
篠原:で「クマ、毛じらみ移った!」って 笑
で、二人して病院に通ったりね。毛じらみが左利きだって知っていることが憎たらしかったみたいでね。
自分の体を使ってどこまで面白いことしようとしているのがすごいんだよ。
あとね、小ぶりながらいいちんちんしてるんだよ 
 
坂本:結構自慢だったみたいですね
 
篠原:あと若松さんのちんちんもまたね、大ぶりでいいちんちんしているんだよ。中国のお寺みたいに反ってるんだよ。
おれは何度も見たことあるんだよ。赤塚さんのも見たな。小ぶりだけど良い形してんだよ。
 
坂本:笑
もっとお話を聞きたいですけれど、そろそろお時間なので、今日はありがとうございました。
 
篠原:ホントはもっとこうマンガを分析したかったんだけどな 笑
ありがとうございました。
 
***
会場の雰囲気をお伝えできないのが悔しいほど、大爆笑の渦に包まれたトークとなりました。
篠原勝之さんありがとうございました!

2016.07.08

5/3(火)トークイベントレポート【ゲスト:松江哲明監督】

5/3(火・祝) ポレポレ東中野 18:00の回終了後に
ドキュメンタリー監督の松江哲明さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
その内容を対談形式でお届けします


<登壇者(左から):松江哲明さん(ドキュメンタリー監督)、冨永昌敬さん(本作監督)、坂本雅司さん(本作プロデューサー)>
 
坂本:お二人は大体同世代ということで、キャリアも近いのでしょうか
 
冨永:(松江監督の方が)ちょっと先輩ですね
 
松江:でも年齢は冨永さんの方が上ですね
 
冨永:僕の方が二つ上なんですけど、学校を出た年は一緒です。
でも松江さんのことを先輩と思っているのは卒業するときにもう『あんにょんキムチ』でデビューしていて。
そのちょっと後に会ったんですよね
 
松江:そうですね。ぼくは冨永さんの『ビクーニャ』という作品がアテネ・フランセ文化センターで上映しているときに観に行って。
いろんな知り合いから「冨永さんが面白いよ」って聞いていました
 
冨永:そういう出会いがあってから、その後松江さんがどういうものを作っているのか気になっている人でした。
近年僕もドキュメンタリーをやる機会が増えたので、やっぱり一番意識するというか。半歩先に行かれているなっていう思いで見てました
 
松江:僕は冨永さんのドキュメンタリー映画はすごく好きで、劇映画と同じような映画のリズムで作っているのがすごいなって。
冨永さんはビデオで撮るのが早かった人だなって思っていたし、たぶん同世代でビデオの編集を完全に自分のものにしている人は冨永監督が最初っていう印象があるんですよ
 
冨永:ちょうど僕らが学校を出たころって境目でしたもんね
 
松江:そうですね。フィルム行くかビデオ行くかっていう。
ぼくはドキュメンタリーをビデオで撮っていたし、ビデオで行くぞって覚悟を決めていたんですけど
冨永さんはフィルムの代わりじゃなくてビデオでしかできないことをやっているのが同世代的だしすごいなって思ってます
 
冨永:編集ってどのくらいまで編集すればいいのかっていつも思っていて。
本作も劇映画じゃないから、撮影も編集もやろうと思えばいくらでもできるけれど、選んでいかなきゃいけない。
逆にフィルムだったら死んでたなって
 
松江:フィルムは撮れたものを大事にしていかなきゃいけないですからね
 
冨永:本作は自分が撮ったもの以上に、生前の赤塚さんの音声や写真がものすごく重要なものとして先ずあって。
題材が既に亡くなっている人だから、どういう風にしたらこれは現在作った作品になるのかってところで
今思うとインタビューというのが、この作品の中にある現在ってことになるのかなって
 
松江:なるほど
 
冨永:基本的にはプロデューサーの坂本さんがインタビューをして、僕は撮影をメインに相手の顔をずっと見ていたので、顔の方が印象的です。
あと撮りながらずっとメモをしていて…
 
松江:現場でメモしていたんですか?
 
冨永:後でパッと見てわかるようにメモしていたんですけど、慣れてないから掻い摘んでメモとっていたのが逆に役に立っていたなって
 
松江:ドキュメンタリー撮っている人で初めて聞きました、カメラ回しながらメモとる人って。すごいですね
 
冨永:自分でも書いていくうちに要約するのがうまくなりました
 
松江:冨永さんって劇映画でもそうですけど、生のものをそのまま使うんじゃなくて自分の中で要約したりコラージュしたいのかなって
クレジットの書体も含めて全部自分のものにしたいのかなって気がするんですよね
 
冨永:それはちょっとした自信の無さもあって、いろんなことやらないとお客さんに満足してもらえないじゃないかって。
だから書体もちゃんと見てもらえるように弄ったりして、やらないと気が済まないんです
今回はやっぱり赤塚不二夫さんが既に多くの人に知られている有名な人だから
観る人だって赤塚さんのことを知っているわけじゃないですか。そういうお客さんに改めてどういう見せ方をすればいいのかなっていうのは考えました。
それに僕らは赤塚さんのマンガというよりかは本人の印象が強いじゃないですか
 
松江:そうですね、仮装大賞とかですよね
 
冨永:だからマンガもすごかったと思うけど、自分に正直に赤塚不二夫さんのことを考えると、
知っている人物像としては仮装大賞の審査員やっているご本人だなって。で、実際に取材をしてみたらやっぱりご本人のことがすごく大きかったなって
 
松江:でも、そういう印象の取材になったのは、ご本人が亡くなっている後に行ったからかなって思います
 
冨永:僕はドキュメンタリー映画は3回目なので、そんなに経験があるわけではないんですけれど
本人がいないというのはこんなに大きなことなのかと。松江さんはどうでしょうか?
 
松江:僕が最初に作った『あんにょんキムチ』は亡くなった祖父を描いた映画でしたし、
林由美香さんの『あんにょん由美香』もですけど、基本的に亡くなった人を映画にした作品が多いんです。
亡くなった人を撮る時に”この人はこういう人でした”って経歴だけ追っても、それは年表を書いているような作業になってしまって。
亡くなっている人って描きやすいけれど、結末が見えてしまうじゃないですか
 
冨永:なるほど
 
松江:でも普通のドキュメンタリーって結末は見えないところが面白いと思うんです。”こういう話になるのかな?”ってところから外れていく部分が
ドキュメンタリー映画の物語だけに強く影響されない特有の面白さなんじゃないかなって僕は思うんですけど、
亡くなっている人だとどうしてもラストが見えちゃう…
 
冨永:もう物語があるってことになっちゃいますもんね
 
松江:そうなんですよね。物語だけじゃないものを撮りたいのにも関わらず、どうしても物語に引っ張られてしまうっていうのが難しさですよね。
でも僕の場合は『あんにょんキムチ』では亡くなった祖父を通して自分を撮るっていうのがテーマでしたし
『あんにょん由美香』では亡くなった人が残した映画をどうやって最後撮るかっていう、その人のこと以外にもう一つ何かが無いと、ただの伝記映画になってしまうので。
ただ今作は観ていて、映っている人みんなが赤塚さんの作品というか、赤塚さんを経過してきた人ってそのエネルギーみたいなものが継承されるんだなって思って、
今作を観た後だと、だから『おそ松さん』って今、こんなにウケているのかなって思いました。
赤塚さんが直接描いたものではなくても、キャラクターだったり志を継承すれば赤塚不二夫作品ってまだ続いていくんだなって
 
冨永:例えば最近だと『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』とか『山田孝之の東京都北区赤羽』とか、見ていて松江さんらしいなって思ったんですけど、
これはフィクションですって言いながらもやっぱりドキュメンタリーだなって思うのは、カメラの前に出来事が起こるように作為的にしているじゃないですか。
だからドキュメンタリーとか劇映画とか関わらず、いまカメラの前でやろうとしていることが面白くて美しいってとこまで持っていけるのがすごいと思うんです。
 
松江:僕がそういうの好きなんですよね。ドキュメンタリーってカメラの前で起きたことに対して、芝居がどうとか駄目なものが写ったからNGとかじゃなくて、
撮れたものを絶対肯定するというか、そういうものが撮れれば撮れるほどドキュメンタリーって面白いなって思うんです。
 
冨永:松江さんは自分でカメラの前で何か起こるように演出するじゃないですか
 
松江:だからドキュメンタリー監督の先輩とかに”お前がやっていることはドキュメンタリーじゃない”って怒られたりしますね 笑
 
冨永:そうなんですね 笑
 
松江:カメラの前に起きるように待つのがドキュメンタリーなのにお前は空気を作り過ぎているって 笑
でも作らなきゃ起きないだろって思ったりもするので、そういう腕力系は好きですね
 
冨永:で、今作の話に戻るんですけど、今作はロケとかにも行ったりしましたけど
基本的には赤塚不二夫さんのことを話をしてくれている人にはカメラを向けていたのが殆どだったので、
そこに松江さんのように何か起こるように演出するのは出来ないじゃないですか
 
松江:でも逆に例えば僕がこの企画を撮るとしたら、こういう作りにはできないと思うんです。
僕は今作でも映像が使われていた赤塚不二夫の『激情No1』が好きですごく影響を受けているっていろんなところでも公言しているんですけど、
赤塚不二夫さんがマンガのルールをマンガで壊すってだけじゃなくて、ご本人が出てきて生でやるっていうのが衝撃的だったんです
 
坂本:実は赤塚不二夫の『激情No1』を某テレビ局で再現しようかってアイデアがあって相談した時に
テレビプロデューサーに当時の番組を見せたら”まったくわかんない”って言われて。そういうのはわかる人とわからない人がいるんだなって
 
松江:『激情No.1』は当時の放送でもわかんない人っていたと思うんですけど、今はわかんないって時点でシャットアウトされてしまうじゃないですか。
そこがもったいないと思いますね。あと今のテレビってオチとフリを気にするけれど『激情No.1』ってカオスなままを流しちゃうっていうのが映画とテレビの違いだと思います。
テレビって流した瞬間から全て現在のものとして、見ている人がどう受け止めるのかっていうキャッチボールは
映画よりもやりやすいと思うんですね。だから『激情No.1』って僕が最初に観たときは映画館での上映だったんですけど、
あれを何も知らずにテレビで見ていたら一番ショックを受けていたでしょうね。そういうものって今のテレビにはないものだから、赤塚不二夫さんってすごいなって思いますし、
自分でもやりたいなって思います
 
冨永:あの番組を作った佐藤輝さんがインタビューで”映像は面白ければそれでいいんだ”ってその言葉が印象的でそれが全てだなって思いましたね。
あと自分だったら自分は何をすればいいか聞くけれど、赤塚さんは何も聞かないでそのまま出てきたり、つまり赤塚不二夫さんって仲間に頼まれたら断らなかったんじゃないかって。
だから他の活動も、どちらかというと周りの人があれやりましょう、これやりましょうっていうのに乗っかっていったんじゃないかなって。
そうじゃないとあそこまで幅広くできないんじゃないかなって思うんです。で、その中で自分の意思を固めていったんだと思うんです。
だから『私…』の中の「もっともっとナンセンスの極地を極めて、自分がマンガを描くことだけじゃなくて演じることだっていい」って言葉は
この映画の中で絶対に使わないといけないと思ったんです
 
松江:今は何が面白くて、どう面白いのかを説明しないといけない時代ですけど、
バスターキートンの影響というか、面白いということに考えるというよりは、パッと即効性でやれるってところが、赤塚さんらしいことなんじゃないのかなって
 
冨永:面白いっていうのが多様化していて「こういう意味では面白い」っていうように細分化が進んでますけれど、
昔は”面白いって一個でしょ、コレでしょ”っていうように愚直に追求していたんじゃないかなって思うんです
 
松江:そうですね
 
冨永:坂田さんが「赤塚先生はアヴァンギャルドでしたよ、ナンセンスのアヴァンギャルド」って劇中で言っていたけれど、
アヴァンギャルドって言葉もアリですけど、面白いことに意味があってはいけないっていう空気があったころにナンセンスって言葉ができたのかもしれないって思います
 
松江:僕も「面白い」って思うものを番組とかでやっているんですけど、自分個人で作る分には説得する必要はないんですけど、
それがどんどん不特定多数に広がると、これがどう面白いのか説明する必要が生まれちゃうじゃないですか
 
冨永:いっぱいありますね
 
松江:だからこの時代に赤塚さんの映画とか作られて観る意味って、今の時代にはないものだと思うし憧れはあるけれど、
だからと言ってそれを昔話にしてあの頃は良かったってことにするんじゃなくて、なんで今こういう人がいないのかとか
あの時こういうことができたのかって考えることが大きいと思うんですよね。
赤塚不二夫さんはそれこそ日本中を相手にして自分が面白いというものを説得するエネルギーがあったんだなって、それはすごいなって思います
 
冨永:インタビューを受けてくれた皆さんは、赤塚さんのことを話すのが楽しい!って感じがすごく伝わってきたんです
 
松江:みなさんホントそうですよね。話しているのを見ていると。
 
坂本:ホントに愛があふれているというか、話していると止まらなくなっちゃって。編集がえらい大変になっちゃうんですが、
その熱量に毎回泣きながら聞いているって感じでしたね
 
松江:一個聞きたかったんですけれど、今回の作品はアニメーションを多用しているじゃないですか。それは最初からあったんですか?
 
坂本:そうですね。昔の写真はたくさんあるんですが、古い映像は無かったのでそこを補完する意味も含めて、狙ってやりましたね。
 
冨永:特に前半ですけれど、年代記として赤塚不二夫さんはこんな人でしたっておさらいというか、
いろいろな本とかに文字では残っていたりするんですけれど、写真や音声は全ての時代にあるわけではないので
ズバリこうでしたって一目でわかってもらえるようにアニメを使ったという感じですね
 
松江:でも普通のアニメの使い方じゃないですよね。映像に対して突っ込みを入れているというか。完全に新作のアニメーションはまた別個に作っているという感じですよね
 
坂本:有名なバカボンとかのアニメって赤塚さんの原作ではあるけれど赤塚作品ではないんですよね。
だからそれを使ってしまうと引っ張られてしまうので、あくまでも赤塚不二夫の伝記ですっていうときに、
全く違うテイストでしかもナビゲーションする役割として入れないと難しいかなっていうところからのアイデアですね
 
松江:実は冨永さんがこの作品にアニメーション使っているって聞いてちょっとゾっとしたんです。
それは僕がドキュメンタリーをアニメーションで作りたいっていうのがずっとあったので、似てしまったらどうしようと思っていたんですけど、
作品見て、僕が考えている使い方とは違ったので安心したのですが、僕が今度アニメーションを使ったドキュメンタリー作品を公開したら
あ、勉強したなって思ってくださいというか、使い方は違うけど、先にやられちゃったなって
 
坂本:一番インスパイアされたのはモンティパイソンのアニメーションが先にアイデアとしてあったんです
 
松江:あーなるほど。でもアニメーションとドキュメンタリーって相性いいなって思っていたんですけど、
日本のドキュメンタリー監督って素材を大事にする人が多いので
 
冨永:最初、モンティパイソンのアニメを意識していたので、写真とか静止画の顔だけくりぬいて、インタビューしている人の顔を入れようと思って
あとで抜きやすいように背景とかライティングとか気にしていたんですけど、作業量考えたら恐ろしいことだと気づいて、
途中から普通に良いインタビューにしようってシフトしたんです 笑
 
松江:そうだったんですね 笑
でもやっぱりアニメーションとドキュメンタリーってホント相性がいいと思っていて。
ドキュメンタリーって撮れたものが現実って思われがちだけれど、例えば思い出話とかも事実に対して誰かが見た記憶をしゃべっているんですよね。
だからその時点で誰かの主観とかフィクションが加わっているんです。
フラッシュバックメモリーズ3D』を撮ったときにその人の脳内をアニメーション化したのも
観ている人のイメージする現実というのが必ずしも正解ではないので、
アニメーションにすることで語っている人のイメージを提示できれば、よりその人の主観に近づけるなって思ったんです。
特に手描きのアニメーションの場合、どうしても未完成な部分というか余白が残るので、そういう風に使うと
インタビューをまとめるとかっていうドキュメンタリーの手法と近い気がして、だから再現映像を使うならアニメーションを使いたいって思っているんです
 
冨永:その頭の中のイメージをっていうのはすごく面白くて。
ちょっと違うかもしれないけれど本作でも、例えば篠原有司男さんが「赤塚さんがNYへ来たのは刺激を受けたかったからでは」って言ったあとに
武居俊樹さんが「そんなことは無いと思う。赤塚さんに影響を与えるものなんてないと思う」って同じ問いかけに対して全く逆の意見が続くんですけれど、
二つ違う意見が出てくるとやっぱり後に出てきた意見の方が、制作側が狙ったものになっちゃう気がして、
ホントはもう一個別の意見が欲しかったなって思いました
 
松江:後から言った意見の方が強く聞こえちゃいますもんね。
本当は正解を求めるのじゃなくて、二つの意見を聞いて「じゃあどっちなんだろう?」って考えるのが面白さであって、
だから冨永さんがあと一個欲しかったっていうのも、より混乱させたいってことですよね
 
冨永:そうですね。だから「影響を受けたのかもしれないし、影響を受けてないのかもしれない」って言ってくれる人いたら一番良かったんだけれど
なかなかそんなに都合よく言う人いないですからね。だから順番っていうのは大切ですよね
 
松江:そうですよね。現実に聞いた通りにつなげるのか、編集の時に変えるのかっていうのは大切ですよね
 
坂本:そろそろお時間となるんですが、お二人はドキュメンタリー作品を多数撮ってきた監督ということで、お互いじっくり話したかったということで…
 
冨永:ホントありがとうございました。
僕の方が松江さんより長生きすることがあったら松江哲明のドキュメンタリーにぜひ出て「こんな人でした」って証言しますよ
 
松江:いや撮ってくださいよ! 笑
僕は冨永さんに撮ってもらえるなら死ぬときにちょっと気持ちが軽くなるので!
 
坂本:話は尽きないですが、本日はありがとうございました
 
冨永:ありがとうございました
 
松江:ありがとうございました
 
 
本作の裏話からドキュメンタリー映画について、そしてドキュメンタリーとアニメーションの組み合わせについてなどなど
とても濃いトークとなりました。松江監督ありがとうございました!

2016.06.29

5/21(土)トークイベントレポート【ゲスト:しりあがり寿さん】

5/21(土) ポレポレ東中野 19:00の回終了後に、漫画家のしりあがり寿さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
その内容を対談形式でお届けします


<登壇者:左:しりあがり寿さん(漫画家)、右:坂本雅司さん(本作プロデューサー)>
 
坂本雅司(以下、坂本):しりあがりさんは幼いころから赤塚マンガを読まれていたと思うんですけれども、
一番初めに読んだのはどの作品でしょうか。
 
しりあがり寿(以下、しりあがり):一番最初は「おそ松くん」とかだと思うんですけれど、一番好きだったのは「まんがNo.1」ですね。
マンガよりも記事が好きで。こんなふざげていいのか、と。
 

坂本:映画でも少し取り上げてはいるんですけれど、改めてご紹介すると「まんがNo.1」は
1972年から約半年間、赤塚さんがプロデュースしたマンガ雑誌です。もうカルト雑誌というか、そうとう実験的なことをしていて
今読んでも面白いんですよね。創刊号は横尾忠則さんの3枚の表紙というとても贅沢な雑誌だったんですね
 
しりあがり:僕は中学校の時の修学旅行にわざわざ持っていて友達に読ませたんです。こんなに面白い雑誌があるんだって
 
坂本:そうなんですね。さらにソノシートが毎回ついていて井上陽水さんの曲がついていたりするんですね。
しりあがりさんはいろんな方のマンガを読まれていると思うんですけれど、赤塚マンガからの具体的な影響はあったんですか?
 
しりあがり:やっぱり「まんがNo.1」のパロディーであったり、あるいはバカボンの実物大マンガとか”メタ”な発想のマンガが好きだったんです。
マンガって例えば海賊の世界とか壁の向こうから巨人がやってくるような、あり得ない世界に没頭させるのが大切じゃないですか。
でも赤塚さんは”それってたかがマンガじゃない?”っていうふうに外から見せてしまうんですよね。実物大マンガや吹き出しの中に字じゃなくて絵を入れたり。
要するにマンガの中に没頭している読者を引きずり出してこれマンガなんだよって開いた視点を持ったギャグなんですよね。それが好きだったんです。
 
坂本:なるほど
 
しりあがり:僕が出てきたのも「ヘタウマ」っていう流れなんですけれど、それも言ってみれば描いてあるものだけじゃなくて
描いている人がヘタだっていう一回り外から見て笑う作業ですよね。そういう”没頭するなよ、開こうぜ”っていうようなものに影響を受けているなって思います。
 
坂本:バカボンで左手で描いた回がありましたけれど、それなんかは走りだった気がしますね。
 
しりあがり:そうですね。「ヘタウマ」が日本で出てきた1977年ってイギリスだとセックス・ピストルズがデビューしたりとパンクロックが流行した年で
そういう下手じゃないと表現できないもの、テクニックがあればいいっていうわけじゃないものが発見された時期なんですよね
 
坂本:シンクロしているんですね。少し話は変わりますがしりあがりさんの代表作で「東海道中膝栗毛」を題材にした「真夜中の弥次さん喜多さん」がありますが
赤塚さんの絶筆も「東海道中膝栗毛」を題材にした作品といわれていて、非常に奇妙な符号というか。
しりあがりさんはなぜ「東海道中膝栗毛」を題材に描かれたんでしょうか。
 
しりあがり:ものすごく便利な入れ物なんですよね。男と女だとついその間の恋愛を描いてしまいがちだし、男一人だと話し相手がいなくて退屈なので、
男二人っていうのはすごくちょうどいいんです。で、その二人が宿を転々としていくのはデタラメな話を描くのにすごく良い入れ物なんです。
僕の描いた話は片方がヤク中で現実か嘘かわからないって、食べ物に例えたら山芋みたいなもんなんです
 
坂本:笑
 
しりあがり:ドロドロってしてそのままじゃ食べれないけれど、弥次喜多って入れ物にいれるとちゃんと食べられる。入れてもかゆいですけどね 笑
 
坂本:みなさんにもぜひ読んでいただきたいんですが、喜多さんがヤク中のゲイカップルっていうとんでもない設定で、
しかも第5回手塚治虫文化賞・マンガ優秀賞を受賞されているんですよね。
 
しりあがり:赤塚さんの絶筆の弥次喜多もちゃんとゲイなんですよ 
 
坂本:原作がたしかそうなんですよね
しりあがりさんは漫画家の他にアート活動もされていますが、「ゆるめ~しょん」というアニメーションも作られていますよね。
これはどういった経緯で作られたんでしょうか。
 
しりあがり:これはアニメーションの制作依頼がきたんですが、カット割りや中割りもできないので、
ソフトの普及で実写のトレース(ロトスコープ)だったら出来ると思ってやったんです。
これはラッキィ池田さんが実際にダンスしてくださったのを撮影して上からトレースしたんですが、
トレースならできると思っていたんですがガタガタになってしまって、結局バイトの人に時給でやってもらいました。
 
坂本:多少はご自身でも描かれているんですか?
 
しりあがり:顔だけですね 笑
これくらいなら5分くらいで描けます。
 
坂本:なぜこの話をしたかというと本作の「マンガをはみだした男」というタイトルのように、私が一番興味のあったのはマンガを離れた部分で、
学生のころに見ながら、山下洋輔さんや筒井康隆さんのような、大人がバカバカしいことを真剣になってやっているのがかっこいいと思っていて
いつか大人になったらあの仲間になりたいと思っていたんです。
 
しりあがり:全く同じですよ。ぼくは大学生のころに全日本冷やし中華愛好連盟とかすごく好きで。ああいうの羨ましかったですよね。
面白いっていろいろあると思うんですけど、安心も必要だけれどやっぱり新鮮さも必要だと思うんですよ。
もっと新しいことを、みたいに求めてゆくとマンガじゃおさまらなくなるんですよね。
 
坂本:ちょうど7月から、しりあがりさんの展覧会が始まりますよね。
 
しりあがり:「しりあがり寿の現代美術 回・転・展」って名前で、いろいろなものを何でも回していて現代美術って言ってますけど
現代美術じゃないと思うんですよね。
 
坂本:なるほど
 
しりあがり:自分の中ではマンガを拡張したつもりなんです。でもだからと言ってこれは本にはならないし、ぼくの展覧会だと原画展だと思われるので
わざわざ現代美術って書いているんです。
 
坂本:赤塚さんもパフォーマンスやアートをマンガとは別にやってきた人ですけど、
しりあがりさんの活動を見ていると、もしかしたら赤塚さんがやりたかったことをやっている人なのかなって
 
しりあがり:いやいや、逆に僕の方は赤塚さんがやっていたことより何回りも小さいというか。あんなに予算ないですからね 笑
あとあんなにお酒飲めないですね、好きですけれど。でも飲みたくなる気持ちってわかりますよ。
新しいものを探そうとするときに、自分の中に何かあるんじゃないかなって思っちゃうんですよね。お酒飲むと普段隠れてる自分の中の何かが出てこないかな?って期待するでしょ。
 
坂本:しりあがりさんの最近の作品はギャグとは少し離れた終末感漂うお話が多いですが、ご自身の中で変化があったんでしょうか
 
しりあがり:ギャグはもう20年前からあんまりちゃんとは描いてないんです。
笑いって大切だけれど笑えるには世の中には安定して豊かじゃないと商売にならないじゃないですか。だからダメになってく世の中を見て、笑ってる場合じゃないな、みたいな。
「方舟」とか「徘徊老人ドン・キホーテ」とかってヤバいよ、こうなっちゃうよ、みたいな暗いマンガばっかりずっと描いていたんです。
で、3.11が来てもう暗いマンガはいらないなって思って、明るいマンガを描きたいと思ったんです。
 
坂本:赤塚さんがギャグのある意味極北まで行ったと思うんですけれど、しりあがりさんの最近の作品を読むとその先を開拓されている気がするんですね。
それはもうギャグですらないというね。
 
しりあがり:そうですね、でもやっぱり笑えないとね。笑いって難しくて、さっき驚きが大切だって言いましたけれど、安心も大切なんですよね。
脳学者の人に脳の働きとして笑いってどんな役割ですか?って聞いたときに教えてもらったんですけれど、安心したときに笑いって出るそうなんです。
じゃあなんでスラップスティックとか人が失敗したり危険な目にあうもので笑うんですかって聞いたら、あの人は危険な目にあっているけれど自分は大丈夫だって笑うんです。
酷いですよね 笑
 
坂本:それで安心するんですね 笑
 
しりあがり:子供も大人が失敗すると笑うじゃないですか。あれも俺の方がうまくできるぞってことなんでしょうね。
笑いってその自分は大丈夫ってことと驚きがセットになっているんですよね。だから難しいんですけれど、驚くにしてもどこかにベースは必要で
あるリアリティをベースにして変なことをしないと笑いにならないんです。
例えば赤塚さんの後期の作品とか、僕もそういうところあるんですけれど、どんどん面白いことをしようとしてベースがなくなってしまうんですよね。
そうすると自分ではベースがあるつもりなんだけれど、それはとても狭いものでわかる人も限られてしまう。だから新しさと安定感という共通の足場みたいなもののバランスは難しいですね。
 
坂本:変貌していくことで常に新しいことを開拓しているってことでもありますよね。
しりあがりさんの作品の表紙は、本作のポスターやパンフレットもデザインして頂いた祖父江慎さんと一緒にやられていますよね。
 
しりあがり:祖父江とは多摩美の漫研で同じだったんですけれど、祖父江ばっかり赤塚さんと会ってしかも映画にまで出やがって…!ってちょっと嫉妬しているんです 笑
でもホント祖父江って赤塚さんのキャラクターみたいですよね。
 
坂本:ホントそうですよね。というところで本日はありがとうございました
 
しりあがり:ありがとうございました。
 
 

場内では終始笑いが漏れるにぎやかな雰囲気でしたが、同時に人間の脳内における笑いの役割や、赤塚作品のメタな笑いについてなど、何度もなるほど!と膝を打ってしまうトークとなりました。
しりあがり寿さんありがとうございました!
 
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しりあがり寿の現代美術 回・転・展

2016.06.22

5/7(土)トークイベントレポート【ゲスト:もふくちゃん/福嶋麻衣子さん】

5月7日(土) ポレポレ東中野 19:00の回終了後に
でんぱ組.incやPUFFYをはじめ様々なアーティストを手掛ける音楽プロデューサーのもふくちゃん/福嶋麻衣子さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
その内容を対談形式でお届けします。
 

<登壇者:左:もふくちゃん/福嶋麻衣子さん(音楽プロデューサー)、右:坂本雅司さん(本作プロデューサー)>
 
坂本:もふくちゃんこと福嶋麻衣子さんは、今大人気のでんぱ組.incを見出した音楽プロデューサーで、秋葉原のディアステージDJクラブ モグラの立ち上げなど、幅広く活動されている方です。
赤塚不二夫先生の作品はいつ頃から読んでいたのでしょうか?
 
福嶋:小学生ぐらいのときに年の離れた姉の影響で「天才バカボン」を読んでいたり、
あとはリメイク版アニメ「おそ松くん」とかは見ていたんですけど、いつからというよりかは自然に家にあったという感じです。

 
坂本:なるほど
 
福嶋:改めてきちんと作品として向き合ったのは、大学時代に宮沢章夫さんの課外授業を受けていたので、マンガ史やポップカルチャー史なども勉強し、改めて「レッツラゴン」などを授業で学んだりして。
この人なんで、マンガ家だったんだろうなっていう印象でした。

 
坂本:たぶん世代的に「レッツラゴン」を読まれることって少ないと思うんですね。当時は絶版だったので。
ところで、でんぱ組.incは、オタクカルチャーとしてだけじゃなくて、サブカルチャーのミックスが凄いなと思いました。
 
福嶋:最初は一番遠いところと遠いところを持ってこようというアイデアがあって。
当時、正統派なアイドルしかいなかったので、ハイアートの文脈でアイドルが出てきたら面白いなって思ってそういう試みで、一時期秋葉原でやっていました。
だから自分の中でアートとサブカルチャーが地続きというか、自然とでんぱ組.incの音楽性やアートワークにそういうものが入ってきたのかなって。

 
坂本:宮沢章夫さんが講師で出演されているNHKのニッポン戦後サブカルチャー史(2014年放送)にもご出演されていましたよね。
宮沢さんには本作の制作の際に、少しご協力して頂きました。
今日、なぜもふくちゃんをお呼びしたのかというと、今話題になっているテレビアニメ「おそ松さん」について、オタクカルチャーの人達がどのように見ているのかを聞いてみたかったんです。
 
福嶋:もちろんオタクの女の子にはウケていると思うんですけど、「オタクの女の子」って定義自体が違うというか。
私くらいの世代で昔から私は腐女子ですっていうコアな人達は割と冷ややかな目でみているんじゃないかなって。
ただ一番すごいのは、ライトな子達がみんな大好きになっちゃってて。
いま私が手がけているアイドルの子達はほとんどが大好きなので抗議したいくらいです 笑

 
坂本:基本は10代の子たちなんですか?
 
福嶋:そうですね。10代の子達ほど、ハマっているなっていう印象です。
 
坂本:実は「おそ松さん」が放送したときには、既に映画の撮影が終わり編集をしていたのですが、第一話を見て衝撃を受けて、取材しなくてはと速攻でインタビューを申し込んだんです。
藤田監督は、幼い頃「天才バカボン」と「おそ松くん」の全集を親戚の叔父さんから貰って読んでいたそうなんですね。
だからこそ、赤塚不二夫のDNAを継承したのだなと思いました。
 
福嶋:そうなんですね。でもたぶんそうじゃないとあそこまで変えることができなかったんだと思います。だからそのイズムは受け継がれている人なのかなって感じました。
 
坂本:もふくちゃんのご両親は赤塚不二夫さんの人生に近いと聞きました
 
福嶋:そうですね。私の祖母が満州から1~2才だった私の母を連れて日本に引き揚げてきたんです。
祖父はもう戦死をしていたので、小さい子供がいる状態で、途方に暮れたそうです。
だから赤塚先生の人生とかを見ていると、戦争というのが作品に影を色濃く残しているのがわかるなって。

 
坂本:少し話は変わりますが、赤塚さんの時代はある意味自由というか、めちゃくちゃだったと思うんですが、表現者として最近の状況はどうでしょうか。
 
福嶋:絶対、今だったら怒られることしかないですよね。これアウトでしょって表現もあるかと思うんですけど、社会的にも許すムードがあったのかなって。今は不謹慎とかちょっと息苦しい感じがありますよね。
だから赤塚さんが今、生きていたらどうなるんだろうなって思ったりしますよね

 
坂本:バカボンのパパは、当時小学生が読む雑誌連載にも関わらず、結構人を殺してますからね。
 
福嶋:そうですよね。あと今の時代だったら差別といわれるような言葉も結構出てくるんですよね。
でも戦争体験を経てあの昭和の時代を生き抜いてきたから言える言葉というか。今の時代にも赤塚さんのような自由な人がいたらいいなって思います。

 
坂本:私の会社の新入社員で、赤塚さんのマンガやアニメを知らない世代が入社したことに衝撃を受けて。せめて自分が体感した赤塚不二夫の面白さを何か残した方がいいなっと考えたのが、本作を作るキッカケになったんです。
 
福嶋:ウナギイヌやバカボンなど有名キャラクターや言葉は独り歩きしてみんな知っていたりしますけど、マンガっていうところにはたどり着きにくいのかもしれないですね。
 
坂本:ただ「おそ松さん」現象もあって、電子書籍で売れているようです。約50年前の作品が、多くの若者が読んでいるのは驚きですよね。
 
福嶋:「おそ松くん」は当時は主人公が同じ顔でしかも6人いたってマンガの常識を覆したっていう新しさが、今の時代に全く違うこととして受け入れられているっていうのが皮肉というか再発見というか。
ボーイズラブが好きな人にとって、同じ顔でひとつ屋根の下で住んでいるシチュエーションや関係性が萌えにつながって受け入れられていることを赤塚先生に見てもらいたかったなって。

 
坂本:賛否両論ではあるみたいですが、でもこのくらい大胆にアレンジしないと意味がないというか、大成功だったと思います。
もふくちゃんは「おそ松さん」現象についてはどのように見ていますか
 
福嶋:若い子達が喜んでいるポイントってキャラクター同士の相関図だったり、キャラクター性っていうところで、そういうところに現代性を見出した目を付けた企画の勝利というか。これから生まれていくコンテンツのヒントになっているんじゃないかって。おんなじ顔で良いんだって 笑
 
坂本:なるほど
 
福嶋:今までどんなコンテンツでもキャラクターって、顔も変えて髪型も変えて、住んでいる家も違うしってなっていたけれど、顔も一緒で住んでいる家も一緒だと、
もはや関係性とキャラの性格のコントロールに特化したところで、みんながあれだけ妄想を掻き立てて泣いたり笑ったりするっていうのが新しい発見じゃないかって思っていて、
受け手側の想像力の時代に本格的に突入したんだなっていうのは思います。
10代の女の子達って息を吸うように自分たちで物語を妄想して補完することができるから、これからのコンテンツの作り方が変わっていけばいいなって。
おんなじ顔をコピペして、セリフだけ変えていったら萌えるんだっていうような「おそ松メソッド」が今回発見されてしまったんじゃないかって 笑

 
坂本:ビジネスチャンスですね 笑
今回私が「おそ松さん」を見ていてサブカルチャーの感じがすごくするところに惹かれていて。
 
福嶋:そうですね
 
坂本:今回の藤田監督へのインタビューやキャラクターデザインの浅野直之さんとお話したりして、お二人ともすごくレイヴカルチャー好きらしくて、
その影響がポップでサイケデリックな色合いだったりお話の飛び方だったりと、ベースはオタクカルチャーにあってもサブカルチャーをすごくうまく引用していると思うんですね
 
福嶋:それはヒントだと思いますね。「おそ松さん」もメタな視点がよく出てきますよね。私もアイドルの歌詞ではかなりメタな視点は意識していました。
それに今ニコニコ動画なんかで若い子たちが「メタい」って言葉を使っているんですよ。
若い子たちがメタっていうことに対してナチュラルに会話していることが私にとって衝撃的だったんです。
そういう「メタい」ってことがサブカルとかアニメだったりが流行るポイントなのかなって思います。
オマージュ文化というかメタな視点をうまく作品に入れ込むことが若い人に限らずいろんな人にウケているのかなって思います。

 
坂本:最後に本作を含めて赤塚不二夫さんについて感じたことなど教えていただけますか
 
福嶋:(赤塚さんの)生涯について非常に興味深く思っています。
戦争体験を経て同世代の作家さんがシリアスだったり、明確に戦争反対を描いた作品を描いていたのに対して、
彼がギャグを選んだっていうのは実は社会に対する暴力性があったんじゃないかなって。
最後まで彼がアナーキーな人だったと思うんですね。
だからそのギャグの暴力性っていうのは今の時代一番忘れられているような気がしていて。
社会に対する反抗を何で表現するかって時にみんないろいろな方法でやっていると思うんですけど、
その中でギャグを選んだっていうのは赤塚さんの優しさであったり、面白さであり、発見だったと思うんです。
暴力に対して笑いで返す、そのギャグが実は一番暴力的だったりして、でもすごく優しい暴力性というか、かっこいいなって思います。

 
坂本:本日は本当にありがとうございました
 
福嶋:ありがとうございました
 
テレビアニメ「おそ松さん」を中心にアニメやアイドル、音楽などのカルチャーについて濃い内容のトークとなりました。
福嶋麻衣子さんありがとうございました!

2016.05.30

5/6(金)トークイベントレポート【ゲスト:京極夏彦さん】

5月6日(金) ポレポレ東中野 18:00の回終了後
小説家の京極夏彦さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
 

<登壇者:京極夏彦さん(小説家)、坂本雅司さん(本作プロデューサー)>
 

僕は「レレレじゃなくてゲゲゲだろ」と思われているかもしれませんが、
この世に水木しげるがいなければ、関東赤塚会や世界バカ協会を作っていたと思うほど、赤塚さんが好きです
」という京極夏彦さん。
京極さんは「南極」の一節「巷説ギャグ物語(赤塚不二夫÷京極夏彦)」という
目ン玉つながりのおまわりさんや赤塚キャラクターが登場するお話をお書きになっているという縁があります。
 

「水木しげる先生との仲は有名ですが、赤塚さんのエキスもかなり入っているのでしょうか」という質問に対して、
発想は赤塚不二夫で、戦略は水木しげる」と水木しげるさんと赤塚不二夫さんのお二人の違いとその影響を語り、
「ひとつのことを成し遂げるために多くのものを捨て去って生き切ってしまった赤塚さんは偉人なんじゃないかなって。
“赤塚の前に赤塚なし、赤塚の後に赤塚なし”だと思います」と赤塚不二夫さんへの思いを語っていただきました。
 

最後には「日本の未来の為に、子どもに赤塚マンガを読ませる。
そして”酷い話だね、お父さん””こんなの描いて良いの? お母さん”ってそう思うことが大切じゃないかな。
だから本作を観た人は是非、赤塚作品を読んで、後世に読み伝えていただきたいと私は強く思います。」と締めくくり、
赤塚不二夫さんの生涯や作品の魅力から、
テレビアニメ「おそ松さん」や映画「天才バカヴォン ~蘇るフランダースの犬~」の
お話に至るまで、終始場内に笑いが起こる”赤塚不二夫愛”が溢れるトークとなりました。
京極夏彦さん、ありがとうございました!

 

2016.05.16

イベント情報

池袋コミュニティ・カレッジのセブンシネマ倶楽部4月の講座にて
「マンガをはみだした男 赤塚不二夫」の
試写会&豪華ゲストのトークショーが決定致しました。
 
◆4/2(土) 12:00~15:00
終了致しました
ゲスト:坂本 雅司さん(映画プロデューサー)/江口 寿史さん(漫画家)
聞き手:近衛 はなさん(女優・脚本家)

◆4/3(日) 13:30~16:30
終了致しました
ゲスト:坂本 雅司さん(映画プロデューサー)/松尾 スズキさん(演出家・俳優・映画監督)
聞き手:近衛 はなさん(女優・脚本家)
 

 
4/2,4/3に行われた試写会のレポート記事はこちら

2016.04.15