5/3(火)トークイベントレポート【ゲスト:松江哲明監督】

5/3(火・祝) ポレポレ東中野 18:00の回終了後に
ドキュメンタリー監督の松江哲明さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催致しました。
その内容を対談形式でお届けします


<登壇者(左から):松江哲明さん(ドキュメンタリー監督)、冨永昌敬さん(本作監督)、坂本雅司さん(本作プロデューサー)>
 
坂本:お二人は大体同世代ということで、キャリアも近いのでしょうか
 
冨永:(松江監督の方が)ちょっと先輩ですね
 
松江:でも年齢は冨永さんの方が上ですね
 
冨永:僕の方が二つ上なんですけど、学校を出た年は一緒です。
でも松江さんのことを先輩と思っているのは卒業するときにもう『あんにょんキムチ』でデビューしていて。
そのちょっと後に会ったんですよね
 
松江:そうですね。ぼくは冨永さんの『ビクーニャ』という作品がアテネ・フランセ文化センターで上映しているときに観に行って。
いろんな知り合いから「冨永さんが面白いよ」って聞いていました
 
冨永:そういう出会いがあってから、その後松江さんがどういうものを作っているのか気になっている人でした。
近年僕もドキュメンタリーをやる機会が増えたので、やっぱり一番意識するというか。半歩先に行かれているなっていう思いで見てました
 
松江:僕は冨永さんのドキュメンタリー映画はすごく好きで、劇映画と同じような映画のリズムで作っているのがすごいなって。
冨永さんはビデオで撮るのが早かった人だなって思っていたし、たぶん同世代でビデオの編集を完全に自分のものにしている人は冨永監督が最初っていう印象があるんですよ
 
冨永:ちょうど僕らが学校を出たころって境目でしたもんね
 
松江:そうですね。フィルム行くかビデオ行くかっていう。
ぼくはドキュメンタリーをビデオで撮っていたし、ビデオで行くぞって覚悟を決めていたんですけど
冨永さんはフィルムの代わりじゃなくてビデオでしかできないことをやっているのが同世代的だしすごいなって思ってます
 
冨永:編集ってどのくらいまで編集すればいいのかっていつも思っていて。
本作も劇映画じゃないから、撮影も編集もやろうと思えばいくらでもできるけれど、選んでいかなきゃいけない。
逆にフィルムだったら死んでたなって
 
松江:フィルムは撮れたものを大事にしていかなきゃいけないですからね
 
冨永:本作は自分が撮ったもの以上に、生前の赤塚さんの音声や写真がものすごく重要なものとして先ずあって。
題材が既に亡くなっている人だから、どういう風にしたらこれは現在作った作品になるのかってところで
今思うとインタビューというのが、この作品の中にある現在ってことになるのかなって
 
松江:なるほど
 
冨永:基本的にはプロデューサーの坂本さんがインタビューをして、僕は撮影をメインに相手の顔をずっと見ていたので、顔の方が印象的です。
あと撮りながらずっとメモをしていて…
 
松江:現場でメモしていたんですか?
 
冨永:後でパッと見てわかるようにメモしていたんですけど、慣れてないから掻い摘んでメモとっていたのが逆に役に立っていたなって
 
松江:ドキュメンタリー撮っている人で初めて聞きました、カメラ回しながらメモとる人って。すごいですね
 
冨永:自分でも書いていくうちに要約するのがうまくなりました
 
松江:冨永さんって劇映画でもそうですけど、生のものをそのまま使うんじゃなくて自分の中で要約したりコラージュしたいのかなって
クレジットの書体も含めて全部自分のものにしたいのかなって気がするんですよね
 
冨永:それはちょっとした自信の無さもあって、いろんなことやらないとお客さんに満足してもらえないじゃないかって。
だから書体もちゃんと見てもらえるように弄ったりして、やらないと気が済まないんです
今回はやっぱり赤塚不二夫さんが既に多くの人に知られている有名な人だから
観る人だって赤塚さんのことを知っているわけじゃないですか。そういうお客さんに改めてどういう見せ方をすればいいのかなっていうのは考えました。
それに僕らは赤塚さんのマンガというよりかは本人の印象が強いじゃないですか
 
松江:そうですね、仮装大賞とかですよね
 
冨永:だからマンガもすごかったと思うけど、自分に正直に赤塚不二夫さんのことを考えると、
知っている人物像としては仮装大賞の審査員やっているご本人だなって。で、実際に取材をしてみたらやっぱりご本人のことがすごく大きかったなって
 
松江:でも、そういう印象の取材になったのは、ご本人が亡くなっている後に行ったからかなって思います
 
冨永:僕はドキュメンタリー映画は3回目なので、そんなに経験があるわけではないんですけれど
本人がいないというのはこんなに大きなことなのかと。松江さんはどうでしょうか?
 
松江:僕が最初に作った『あんにょんキムチ』は亡くなった祖父を描いた映画でしたし、
林由美香さんの『あんにょん由美香』もですけど、基本的に亡くなった人を映画にした作品が多いんです。
亡くなった人を撮る時に”この人はこういう人でした”って経歴だけ追っても、それは年表を書いているような作業になってしまって。
亡くなっている人って描きやすいけれど、結末が見えてしまうじゃないですか
 
冨永:なるほど
 
松江:でも普通のドキュメンタリーって結末は見えないところが面白いと思うんです。”こういう話になるのかな?”ってところから外れていく部分が
ドキュメンタリー映画の物語だけに強く影響されない特有の面白さなんじゃないかなって僕は思うんですけど、
亡くなっている人だとどうしてもラストが見えちゃう…
 
冨永:もう物語があるってことになっちゃいますもんね
 
松江:そうなんですよね。物語だけじゃないものを撮りたいのにも関わらず、どうしても物語に引っ張られてしまうっていうのが難しさですよね。
でも僕の場合は『あんにょんキムチ』では亡くなった祖父を通して自分を撮るっていうのがテーマでしたし
『あんにょん由美香』では亡くなった人が残した映画をどうやって最後撮るかっていう、その人のこと以外にもう一つ何かが無いと、ただの伝記映画になってしまうので。
ただ今作は観ていて、映っている人みんなが赤塚さんの作品というか、赤塚さんを経過してきた人ってそのエネルギーみたいなものが継承されるんだなって思って、
今作を観た後だと、だから『おそ松さん』って今、こんなにウケているのかなって思いました。
赤塚さんが直接描いたものではなくても、キャラクターだったり志を継承すれば赤塚不二夫作品ってまだ続いていくんだなって
 
冨永:例えば最近だと『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』とか『山田孝之の東京都北区赤羽』とか、見ていて松江さんらしいなって思ったんですけど、
これはフィクションですって言いながらもやっぱりドキュメンタリーだなって思うのは、カメラの前に出来事が起こるように作為的にしているじゃないですか。
だからドキュメンタリーとか劇映画とか関わらず、いまカメラの前でやろうとしていることが面白くて美しいってとこまで持っていけるのがすごいと思うんです。
 
松江:僕がそういうの好きなんですよね。ドキュメンタリーってカメラの前で起きたことに対して、芝居がどうとか駄目なものが写ったからNGとかじゃなくて、
撮れたものを絶対肯定するというか、そういうものが撮れれば撮れるほどドキュメンタリーって面白いなって思うんです。
 
冨永:松江さんは自分でカメラの前で何か起こるように演出するじゃないですか
 
松江:だからドキュメンタリー監督の先輩とかに”お前がやっていることはドキュメンタリーじゃない”って怒られたりしますね 笑
 
冨永:そうなんですね 笑
 
松江:カメラの前に起きるように待つのがドキュメンタリーなのにお前は空気を作り過ぎているって 笑
でも作らなきゃ起きないだろって思ったりもするので、そういう腕力系は好きですね
 
冨永:で、今作の話に戻るんですけど、今作はロケとかにも行ったりしましたけど
基本的には赤塚不二夫さんのことを話をしてくれている人にはカメラを向けていたのが殆どだったので、
そこに松江さんのように何か起こるように演出するのは出来ないじゃないですか
 
松江:でも逆に例えば僕がこの企画を撮るとしたら、こういう作りにはできないと思うんです。
僕は今作でも映像が使われていた赤塚不二夫の『激情No1』が好きですごく影響を受けているっていろんなところでも公言しているんですけど、
赤塚不二夫さんがマンガのルールをマンガで壊すってだけじゃなくて、ご本人が出てきて生でやるっていうのが衝撃的だったんです
 
坂本:実は赤塚不二夫の『激情No1』を某テレビ局で再現しようかってアイデアがあって相談した時に
テレビプロデューサーに当時の番組を見せたら”まったくわかんない”って言われて。そういうのはわかる人とわからない人がいるんだなって
 
松江:『激情No.1』は当時の放送でもわかんない人っていたと思うんですけど、今はわかんないって時点でシャットアウトされてしまうじゃないですか。
そこがもったいないと思いますね。あと今のテレビってオチとフリを気にするけれど『激情No.1』ってカオスなままを流しちゃうっていうのが映画とテレビの違いだと思います。
テレビって流した瞬間から全て現在のものとして、見ている人がどう受け止めるのかっていうキャッチボールは
映画よりもやりやすいと思うんですね。だから『激情No.1』って僕が最初に観たときは映画館での上映だったんですけど、
あれを何も知らずにテレビで見ていたら一番ショックを受けていたでしょうね。そういうものって今のテレビにはないものだから、赤塚不二夫さんってすごいなって思いますし、
自分でもやりたいなって思います
 
冨永:あの番組を作った佐藤輝さんがインタビューで”映像は面白ければそれでいいんだ”ってその言葉が印象的でそれが全てだなって思いましたね。
あと自分だったら自分は何をすればいいか聞くけれど、赤塚さんは何も聞かないでそのまま出てきたり、つまり赤塚不二夫さんって仲間に頼まれたら断らなかったんじゃないかって。
だから他の活動も、どちらかというと周りの人があれやりましょう、これやりましょうっていうのに乗っかっていったんじゃないかなって。
そうじゃないとあそこまで幅広くできないんじゃないかなって思うんです。で、その中で自分の意思を固めていったんだと思うんです。
だから『私…』の中の「もっともっとナンセンスの極地を極めて、自分がマンガを描くことだけじゃなくて演じることだっていい」って言葉は
この映画の中で絶対に使わないといけないと思ったんです
 
松江:今は何が面白くて、どう面白いのかを説明しないといけない時代ですけど、
バスターキートンの影響というか、面白いということに考えるというよりは、パッと即効性でやれるってところが、赤塚さんらしいことなんじゃないのかなって
 
冨永:面白いっていうのが多様化していて「こういう意味では面白い」っていうように細分化が進んでますけれど、
昔は”面白いって一個でしょ、コレでしょ”っていうように愚直に追求していたんじゃないかなって思うんです
 
松江:そうですね
 
冨永:坂田さんが「赤塚先生はアヴァンギャルドでしたよ、ナンセンスのアヴァンギャルド」って劇中で言っていたけれど、
アヴァンギャルドって言葉もアリですけど、面白いことに意味があってはいけないっていう空気があったころにナンセンスって言葉ができたのかもしれないって思います
 
松江:僕も「面白い」って思うものを番組とかでやっているんですけど、自分個人で作る分には説得する必要はないんですけど、
それがどんどん不特定多数に広がると、これがどう面白いのか説明する必要が生まれちゃうじゃないですか
 
冨永:いっぱいありますね
 
松江:だからこの時代に赤塚さんの映画とか作られて観る意味って、今の時代にはないものだと思うし憧れはあるけれど、
だからと言ってそれを昔話にしてあの頃は良かったってことにするんじゃなくて、なんで今こういう人がいないのかとか
あの時こういうことができたのかって考えることが大きいと思うんですよね。
赤塚不二夫さんはそれこそ日本中を相手にして自分が面白いというものを説得するエネルギーがあったんだなって、それはすごいなって思います
 
冨永:インタビューを受けてくれた皆さんは、赤塚さんのことを話すのが楽しい!って感じがすごく伝わってきたんです
 
松江:みなさんホントそうですよね。話しているのを見ていると。
 
坂本:ホントに愛があふれているというか、話していると止まらなくなっちゃって。編集がえらい大変になっちゃうんですが、
その熱量に毎回泣きながら聞いているって感じでしたね
 
松江:一個聞きたかったんですけれど、今回の作品はアニメーションを多用しているじゃないですか。それは最初からあったんですか?
 
坂本:そうですね。昔の写真はたくさんあるんですが、古い映像は無かったのでそこを補完する意味も含めて、狙ってやりましたね。
 
冨永:特に前半ですけれど、年代記として赤塚不二夫さんはこんな人でしたっておさらいというか、
いろいろな本とかに文字では残っていたりするんですけれど、写真や音声は全ての時代にあるわけではないので
ズバリこうでしたって一目でわかってもらえるようにアニメを使ったという感じですね
 
松江:でも普通のアニメの使い方じゃないですよね。映像に対して突っ込みを入れているというか。完全に新作のアニメーションはまた別個に作っているという感じですよね
 
坂本:有名なバカボンとかのアニメって赤塚さんの原作ではあるけれど赤塚作品ではないんですよね。
だからそれを使ってしまうと引っ張られてしまうので、あくまでも赤塚不二夫の伝記ですっていうときに、
全く違うテイストでしかもナビゲーションする役割として入れないと難しいかなっていうところからのアイデアですね
 
松江:実は冨永さんがこの作品にアニメーション使っているって聞いてちょっとゾっとしたんです。
それは僕がドキュメンタリーをアニメーションで作りたいっていうのがずっとあったので、似てしまったらどうしようと思っていたんですけど、
作品見て、僕が考えている使い方とは違ったので安心したのですが、僕が今度アニメーションを使ったドキュメンタリー作品を公開したら
あ、勉強したなって思ってくださいというか、使い方は違うけど、先にやられちゃったなって
 
坂本:一番インスパイアされたのはモンティパイソンのアニメーションが先にアイデアとしてあったんです
 
松江:あーなるほど。でもアニメーションとドキュメンタリーって相性いいなって思っていたんですけど、
日本のドキュメンタリー監督って素材を大事にする人が多いので
 
冨永:最初、モンティパイソンのアニメを意識していたので、写真とか静止画の顔だけくりぬいて、インタビューしている人の顔を入れようと思って
あとで抜きやすいように背景とかライティングとか気にしていたんですけど、作業量考えたら恐ろしいことだと気づいて、
途中から普通に良いインタビューにしようってシフトしたんです 笑
 
松江:そうだったんですね 笑
でもやっぱりアニメーションとドキュメンタリーってホント相性がいいと思っていて。
ドキュメンタリーって撮れたものが現実って思われがちだけれど、例えば思い出話とかも事実に対して誰かが見た記憶をしゃべっているんですよね。
だからその時点で誰かの主観とかフィクションが加わっているんです。
フラッシュバックメモリーズ3D』を撮ったときにその人の脳内をアニメーション化したのも
観ている人のイメージする現実というのが必ずしも正解ではないので、
アニメーションにすることで語っている人のイメージを提示できれば、よりその人の主観に近づけるなって思ったんです。
特に手描きのアニメーションの場合、どうしても未完成な部分というか余白が残るので、そういう風に使うと
インタビューをまとめるとかっていうドキュメンタリーの手法と近い気がして、だから再現映像を使うならアニメーションを使いたいって思っているんです
 
冨永:その頭の中のイメージをっていうのはすごく面白くて。
ちょっと違うかもしれないけれど本作でも、例えば篠原有司男さんが「赤塚さんがNYへ来たのは刺激を受けたかったからでは」って言ったあとに
武居俊樹さんが「そんなことは無いと思う。赤塚さんに影響を与えるものなんてないと思う」って同じ問いかけに対して全く逆の意見が続くんですけれど、
二つ違う意見が出てくるとやっぱり後に出てきた意見の方が、制作側が狙ったものになっちゃう気がして、
ホントはもう一個別の意見が欲しかったなって思いました
 
松江:後から言った意見の方が強く聞こえちゃいますもんね。
本当は正解を求めるのじゃなくて、二つの意見を聞いて「じゃあどっちなんだろう?」って考えるのが面白さであって、
だから冨永さんがあと一個欲しかったっていうのも、より混乱させたいってことですよね
 
冨永:そうですね。だから「影響を受けたのかもしれないし、影響を受けてないのかもしれない」って言ってくれる人いたら一番良かったんだけれど
なかなかそんなに都合よく言う人いないですからね。だから順番っていうのは大切ですよね
 
松江:そうですよね。現実に聞いた通りにつなげるのか、編集の時に変えるのかっていうのは大切ですよね
 
坂本:そろそろお時間となるんですが、お二人はドキュメンタリー作品を多数撮ってきた監督ということで、お互いじっくり話したかったということで…
 
冨永:ホントありがとうございました。
僕の方が松江さんより長生きすることがあったら松江哲明のドキュメンタリーにぜひ出て「こんな人でした」って証言しますよ
 
松江:いや撮ってくださいよ! 笑
僕は冨永さんに撮ってもらえるなら死ぬときにちょっと気持ちが軽くなるので!
 
坂本:話は尽きないですが、本日はありがとうございました
 
冨永:ありがとうございました
 
松江:ありがとうございました
 
 
本作の裏話からドキュメンタリー映画について、そしてドキュメンタリーとアニメーションの組み合わせについてなどなど
とても濃いトークとなりました。松江監督ありがとうございました!

 

16.06.29